生涯独身が幸せだという女が増えている?遠くない未来を見つめて思うこととは

生涯独身となる女になる割合がここ数年激増の一途をたどっている。
正確には私なども生涯独身となる「見込み」、なのかも知れない。
だが、そういう生涯を送る人は幸せなのだろうか?

もちろん男にとっても大きな問題だろう。
ちょっと以前のように、女は男と結婚して家庭を持つ、子供を産むのが幸せ、という考え方が崩れたとみるべきなのだろうか?

それとも何かもっと大切な物を見つけた、そういう女が増えている、ということになるのだろうか?

単になかなかよい結婚相手が見つからないから、というだけが理由ではないような気もするし、確かに身近にそういう人たちもいる。
いろいろ考えさせられてしまうが、何かのヒントになるかも知れないので私なりのとらえ方をお伝えしてみよう。

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生涯独身でいる方が幸せだと思えたり、そう主張する人は確かにいる?

確かに今の世の中は本当に結婚しづらい。

縁に恵まれていれば20代で早々結婚する人も多いけれど、その反対に今や30歳で独身の女は41.7% 。
3人のアラサーのうち、確実に一人は未婚だ。

そしてその彼女には婚活地獄が待っていることとなる。
そのつらさ、厳しさを見る限り、確かに心が折れる、ノイローゼや心身症にもなりかねないような道が待っているというしかないかも知れない。

40、50代で生涯独身を決めた方のうち、そういう結婚の難しさに辟易した方もいるにちがいない。
そして別な幸せが自分の生涯にある、またはあるにちがいないと考えているとも思える。

私はまだ年齢的にもそこまで切羽詰まった境遇ではないけれど、知人の中にもやっぱり四十路、五十路でいまだに未婚の人もいたりする。
そういう人たちを見ると生涯独身というのも新しい生き方として定着してきているのではないだろうか?

そういう風に思えるくらい、(あくまでも一見だけれど)のびのびと毎日を過ごしているようなのだ。
そういう彼女たちを見ていると、やっぱり結婚しない生き方もあるのかも?友思えてくる。
そして今自分のがんばっている婚活が空しく響いてくることすらあったりする。

生涯独身なら好きなことができる?でも臨終の時には超悲惨?

その人たちのことは後で話したいけれど、確かに女が家庭を持たずに独り身を続けていけば、家族に対して何の気兼ねもなく好きなことを存分にできる。

おそらく生涯独身の最大のメリットがこれではないだろうか?

だが60歳、70歳と年をとるにつれて、状況は変わってくる。
まず自分の体が動かなくなってくるし、無理が利かなくなって多病にもなる可能性も出て来る。

そしてその時点では自分の両親も他界している。
身内で存命している、またはいるかも知れないのは自分よりも若い血縁者や、同年齢辺りの従兄弟兄弟となる。

しかしながらたとえ身内であっても、高齢になればなるほど見舞いに来る人数も回数も減ってくる。
場合によっては全くない、などと言うケースもあるようだ。

しかも人生の終末はほとんど病気になって病棟で向かえることとなるし、その最後の病気はいわゆる3大成人病、つまり「がん」、心筋梗塞、脳卒中。
さらにこれに準じる病気とされているものだ。

そして命がつきるまで病室で長い日数を過ごし、骨と皮の状態で逝く。

高齢になるまで生涯独身を貫こうとする人は、行く末には本当に孤独が待っている。
病院
したいことがありすぎて自由にそれができる。

それが女にとっても生涯独身こそ幸せ、と標榜する主張のあらましのように感じるけれど、それができない体になったときはこうした余生になることも充分に承知しておくべきだ。

決して結婚するよう無理に促すわけではないけれど。

結婚しない方が幸せそうな彼女たちについて

ところが確かに世の中は複雑なのだ。

私の知人で上に語って見たとおり、かなり年齢がかさんできていながら、二人(姉妹)そろって未婚のまま。
少なくとも二人ともたとえ結婚しても出産など思いも寄らないような年齢になっている。

だが彼女たちはそれでもやっぱり幸せではないだろうか?

私にはそう思える事実が実はある。
彼女たちの育った家庭はもの凄く複雑で、いわゆる“荒れた家庭”。

父親はアルコール依存症、とまではいかないが大の酒乱で、しかも家族にばかり暴力をふるう。
日中はそれこそ固いサラリーマンとして働き、結果として定年退職まで勤め上げていたけれど、夜の店で飲んできては夜中に自宅に戻るや、母親の首を絞めて乱闘騒ぎ。
一度などは灯油を自宅の床にぶちまけて危うく大変なことになりかけたこともあったらしい。

そして彼女自身も小学校から中学校と成績はトップクラスだったのに徐々に学校生活もすさんできた。
父親に殴られることも多く、そのために聴覚に障害まで持ってしまったという。

そのような体験をしていたその姉妹、結果として成人しても男性と交際する気にならなかったようだ。
父親と一緒に暮らしていたとき体験した恐怖が先行していたのかも知れない。

また、そういうトラウマを払ってくれる男性に出会うことも無かった。
結局父親は離婚して家族の前からいなくなったが、男の人に出会っても、その先にはどうしても父親のそういうイメージが重なっていたことだろう。

だが、こういう実話を聞いてみると、一概にとにかく結婚しなくて花なら無い、ということ自体が残酷な響きを持つようにも思えてならない。

だから、確かに女として肉体的にも結婚、出産という大きな使命を持ってこの世に生きているのかも知れない。
だが、中にはこういう人たちのようにあまりにも結婚に対する心理的な障害が大きすぎてそれができない人たちもいることだろう。

女、男にかかわらず生涯独身で過ごすその先には孤独な人生の執着が待っているのかも知れない。
だが、それでも本当の幸せというものは人によってまちまちな場合もある。
本当に極端なケースかも知れないが、以上が私が本人たちから聞いた身の上話だ。

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百聞は一見にしかず、だが「百見は一体験にしかず」?

だが、そこまで極端なケースで無い限り、まず押さえておくべきことが一つあるように思う。

これは私のウンチクではなく、スピリチュアル的な観点から考えてみたものになるが、それは
 
“人間は、人との交流の中で成長していくもの。”

であるということだ。
スピリチュアルは死んであちらの世界のことまでをも視野に入れていることから、こういう発想もできるのだろう。
また、それが本当の真実なのかも知れない。

だが、現実に毎日を大変な思いで過ごしている私たち当事者にとってはなかなか行き着けない思考ではないだろうか?

私もそうだけれど、今の世の中はとかく人間同士の摩擦、すれ違いが大きくなってきているようにも思えるし、それがもう子供の頃から増幅しているかも知れない。

イジメなどもその表れだと考えられるし、また同じことが成人し就職後、勤務先で同じような目に遭うことだって多い。

また、そういう人間関係の悪化に対して人々の心のありようがだんだん弱くなっているように思えないだろうか?
その一つの表れになっているものとして、最近になるほどいろいろな規則が立て込んできているように思う。

私は喫煙家ではないけれど、たとえば喫煙の問題一つをとってもかつては全然みんな平気で路上で吸っていた。
だが今ではそれが都会や都市部になるともの凄く制限される。
自転車の規制強化などはその典型だろう。

健康とか安全の問題はもちろんあるけれど、同時にその背後にある寛容性のようなもの、心の柔軟性がなくなってきているようにも思える。

そしてさらには今の婚活の実態。
婚活業者は営利追求の一途で、また登録してパーティーや合コンに参加する中には遊び目的や既婚者、果ては桜まで紛れ込んでいるケースも少なくない。

婚活中の女たちが、相手の男性たちのスペックをとかく高望みする傾向があることが非難されることも多いけれど、一面それは自分を安全に保つ手段ともいえるだろう。

はたしてこんな中で本当に良い出会いというのはあるのだろうか?
絵馬
婚活に苦しんでいる身でもあるので、私自身どうしても口になってしまうことをお許し願いたいけれど、結婚してみなければそのなんたるかは本当には分からない、という声もある。

「百聞は一見にしかず」ならぬ「百見は一体験にしかず」というところかも知れない。やらないうちからなんとも評価や判断ができない。

他人の感想を聞いたとしてもそれこそ千変万化ある。
それが結婚ではないだろうか?

幸せかどうかを決めるのは何か?

こうして複雑になってきている世の中、生涯独身の行く先が孤独の一色であったとしても、逆に不幸せな結婚をしてしまう女だっている。

ただここで最後に一つ考えるのは、幸せとか不幸せというのはあくまでも心象の範囲。
気持ちの持ち方、ありようによって決するもののはずなのだ。

生涯独身自体が幸せかどうかの指標となるわけではない、心の問題とするならば、それも女が過ごす生涯のうちにはちがいない。

というより、見た目の形で決まるものではない、心で決まるわけだから間違っているか正しいかという判定自体を下すことができないのではないだろうか?

でも、好きな人に出会いたい、そして結婚したい。
これもそういう心、気持ちの問題になる。

ごくごく単純に考えて私だったら、やっぱりこうした希望のままに生きることを願う。
それが自分にとっての幸せだと思えるからだ。

増田えりか

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