厄年はいいことばかりだった?そんな人の主張にはこういうカラクリがあった!

アラサー女性の中にはそろそろ厄年にさしかかる年の方もいる。
厄年を過ぎた方もいるかも知れないが、もしかしてその年、いいことばかり続いた、と言う方はいないだろうか?

普通なら出会いも上手くいかず、若さもくすんでくる。
それにダメ押しで厄年、とは気が滅入る。

けれど、世の中広い。
いいことばかりあった、自分でもわからないけれど厄年のくせにいいことばかり続いたんで申し訳ないくらい、と言う奇特な人も確かにいるようだ。

それらしく、落ち込んでいるべき年かも知れないけれど、フシギとそういう主張の人、身内に実はいたりした。

何でそういう風に考えられるのか、そしていいことばかり続いたとしたら一体なぜなのか?

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丙午生まれの大叔母は厄年をお祝い?いいことばかりと言えた事情とは

厄年と言えば、災難ばかりが降ってくる年回りのはずなのに、いいことばかりというのはどういうことだろうか?

でも正直、単なる迷信とか縁起担ぎみたいなものだ。
本当にその年に運気とかが悪くなるだの、とは私も全然信じていない。だから私もそんなことを言わない。

ただ、生活的にもカラダ的にもそういう“曲がり角、節目”みたいなものだから注意して過ごすべきだ、と言う人は多い。
確かにもっともだと思う。
おそらく多くの女性もそのつもりでいるはずだ。

でも、だからといって逆に厄年に限っていいことばかり続く、とは夢にも思わないだろう。

そういう悪い年回りとか信じていなくとも、暗示みたいなものが微妙に心に作用したりもする。
だから信じていないまでも、どこかネガティブな気持ちにはなるのではないだろうか?

ところが私が子供の頃に死んだ大叔母は、もともと自分が丙午の年の生まれだった。
それに触発されたのか、古い人間なのに逆に厄年の時にはいいことばかり続いていた、などと生前語っていたことを思い出す。

前厄の32歳の時に死んだ大叔父とお見合いをして、一発で好きになり、トントンと結婚。
家も建てて2年後、つまり後厄には長男、つまり私の叔父を生んでいる。
その間大叔父の仕事も順風満帆続きで、だから思い切って新築したそうだ。

厄年だから、と親戚の人は新築するのを止めに入った人もいたそうだが、逆に大叔母は反論。
「私なんか元々丙午生まれ。これ以上不幸になることはない」
みたいに言い切ってしまった様なハナシだ。

変わり者の大叔母だったが、厄年様々みたいにいいことばかりだった、と、私が小学校低学年の子供の頃に話してくれている。
その頃私は何が何だかわからず、「へぇー」と言うように聞いていた。
そして生前、厄年を粗末にしてはいけない、お祝いしても良いくらい、とも言っていたことを思い出す。

でも、よくよくネット上や他の周囲の人の体験談を聞いてみると、確かにいいことばかり、とまでは行かなくても、結構幸運なことに巡り会ったりしている人も多い。

むしろそういう年にさしかかって気が滅入る、落ち込む、とか言うように心の部分ばかりが折れてしまう声が妙に多くないだろうか?
少なくとも私の目にはそう映るのだ。
神社

世間の声はこんな風?友人知人の声と一緒にまとめ!

ではどういう声があるのだろう?

それをちょっとアレンジし、あと私の知人の意見も合わせてざっとお伝えしてみたい。
男性の意見も含めている。

・お前が厄年のせいで周りが迷惑、とか何とか言われたくないから渋々厄払いに行った。
(この手のハナシは多いみたいだ)
・「お前が結婚できないのもそのせいだからお参りに行ってこい」と親に言われて腹立った。けんかになってお参り行かなかった。
いまだに出会いないのはそれが原因?
(これは私 苦笑)

・大体何歳が厄年なのかわからへん。後でわかった時には年過ぎてたわ。
・厄払いに行った帰りに車ぶつけられた。
・厄払いなんて行ったことない。でも何も起きない。

・あれって神社とお寺にご祝儀みたいなもんだよね。
・厄年って人の一生の半分あるんでしょ。不幸と幸せが半々で、いいことばかりでもないけれど悪いことばかり続くってわけじゃない。ちょうど良いんじゃないの?

・自分の厄年に身内が死んだ。でもその身内自身は厄年じゃなかった。何かおかしくない?
・知り合いのお坊さんと酒飲んだ時、そのお坊さんが
「俺も信じていない」だとさ。
(知人男性)

後半は主に友人のコメントになる。

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でもこうした主張(?)は、私だけでなく他の女性の方々もよく耳にするのではないだろうか?

だがここから見え隠れしてきているのは、厄年にはそんなに現実に悪いことは起こらない。

むしろ自分の気の持ちようが影響を受けて劣化している、そういう風に感じられるのだがいかがだろうか?

反論もあるかも知れないし、そういう年に災難に遭った方もいるに違いない。

そしてもちろん、そういう年回りになったら体調や生活の変化はあるだろうし、だから昔からの生活の知恵とも言えるものになる。

でも、よくよく実際を見れば『いつもと同じ』。

悪いことばかりを見てしまいがちだけれど、そうではない。
もちろんいいことばかり続くわけではないけれど、普段以上でも以下でもあり得ないのではないだろうか?

両面からの捉え方あり!注意を促す警鐘に!

ようは、気にしてしまう結果、自分の身の周り中で悪いことばかりがクローズアップされてくる。
これは確かに言えることではないだろうか?

私の大叔母みたいに、勇気の塊のようにしていいことばかりある、といえる人はまれかも知れないけれど、でもそういう気持ちの有り様こそが大切になるはずだ。
柄杓
そしてもっと大切なこと。
それは、現実の生活や健康の上で、大きな節目を迎えることを警告して警鐘を鳴らしているということ。
それに気づいて、正しい対処と注意を心がけること。
それこそが本来的に必要なことではないだろうか?

そういうお参りとか厄払いに、私も行かなくてはならない年にさしかかっている。

友人の中にはすでに済ませた女性もいるけれど、その一人が言うことには、あるお寺に厄払いで行った時、年齢ごとに祈祷料の値段が変わっていて、しかも年齢が上になるほど金額が高くなる。
祈祷の仕方ごとにも安いコース、高いコースがある。

要するに完全にビジネス化しているのだ。
「その一覧表を見てムカムカ腹が立った」
と彼女は語っていた。

「役に立つ年」を大切に

逆に私の知人の中には正月の初詣すら毎年行かない人がいたりする。

でも、なんだか見ているとそういう人ほど厄年なんて何にもあるわけない、いいことばかりではないかも知れないけれど、悪いこともそんなにないものだ、とすごくクールだ。

でも、それでいてしっかりと実生活は気質(かたぎ)に営んでいる。

だから、自戒も込めて言うのだけれど一番大切なのは気の持ちよう。
悪い面から考えすぎないことが大切ではないだろうか?

「厄年は役に立つ年」
と私の大叔母も言っていたとおりにちがいない。
どうかそういう年として、できれば大切に過ごしていただくことを願いたい。

櫻井雅子

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